2004年9月1日、前日にかかりつけ医から受け取った紹介状を持って県病院へ。EBウイルスの可能性があり血液検査をした結果、白血病の疑いも出てきてさらに詳しい検査をするためそのまま入院になりました。そして、骨髄検査は良くない結果が出て、「この病院では治療ができない病気」と告げられました。

EBウイルス、って何!?

仕事と子ども、どっちが大事なの!?

朝一番に次男を病院へ連れて行くというのに、こんな時に限って夫のバイクが故障する。そして、我が家に1台しかない車に乗って出勤すると言うから冗談じゃない。私が怒りを爆発させながら身支度している間に、夫は車に乗ってさっさと出かけて行きました。

怒っていても仕方がない。母に頼んで車を出してもらいました。長男は幼稚園を休ませて連れていくことになり、熱は下がっているのにぐったりしている次男を抱きかかえて県病院へ。

EBウイルスの可能性があるため血液検査

小児科前の待合室は大勢の子どもたちで溢れていました。1~2時間待ちといったところでしょうか。廊下に設置されているテレビを観たり売店で買ってもらったお菓子付きのオモチャで遊んだりして過ごしている間も、次男はだるそうにして母や私に抱かれている時間が長く、これまでとは明らかに様子が違っていました。

そして、11時頃にようやく診察室へ。あれだけ待ったのに診察はあっという間に終了して、「EBウイルスの可能性がある」と告げられました。血液検査をして結果が出るのは午後・・・。それまでの間、病院の近くにあるうどん屋で食事をしました。次男はぐったりしていて食欲もなく、何も食べずに座敷で寝転がっています。

いつもだったら喜んで一番先に食べ始めるのにどうしてしまったのだろう。EBウイルスって何だろう。インフルエンザのようなウイルスなのかな。薬を飲めば治るんだよね・・・きっと。

慢性活動性EBウイルス感染症とは
本質的には白血球増殖性疾患である。CAEBVは現在有効な治療が確立されておらず、血球貪食症候群を併発したり、最終的に多臓器不全や悪性リンパ腫などを発症することで高い致死率を示す予後不良の疾患である。
引用元: ウィキペディア

EBウイルス感染が高くなり検査入院へ

食事を終えて病院に戻ると看護師さんは慌てた様子で私たちを迎え、すぐに診察室へ案内してくれました。

血液検査結果
 白血球     13.80
 赤血球     2.11
 ヘモグロビン  5.8
 ヘマトクリット 16.7
 血小板     3.1
 MCV      79.1
 MCH      27.5
 MCHC      34.7
 炎症反応    0.90

(血液像)
 リンパ球   18%
 芽球     82%

(生化 肝)
 T-Bill 0.70
 GOT  21
 GPT   8
 LDH  403
 CPK 24

(生化 腎)
 Na 141
 K 4.1
 Cl   103
 BUN  8
 CRE  0.26

ヘモグロビンの値が低くかなりひどい貧血で、いつ倒れてもおかしくない状態でした。血小板の値はギリギリ大丈夫でしたが、全身に内出血した痕がいくつもあります。リンパ腺が腫れていました。EBウイルスに感染した可能性が高いため検査入院しなければならず、最悪の場合は白血病であることも聞きましたが気に留めませんでした。ネットで調べてたどりついたあの病気、まさにその症状が揃っていても、息子が難病に侵されているなどありえない、すぐに治る病気だと信じていました。そんなテレビ番組のような出来事が起きるはずない、と。

薬をもらって帰れると思っていたため、入院準備などなにもしていません。母に息子たちの付き添いを頼み、私は自宅に戻って慌しく入院準備をしていると「急がなくても大丈夫だから」と言っていた母から電話がかかってきました。医師から話したいことがあるそうなので、とにかく早く戻ってほしいとのこと。

何かを調べる時間も考えている時間もなく鞄に衣類を詰め込み、不安で胸が張り裂けそうになりながら急いで病院へ向かいました。急がなければいけない理由は何だろう。。。

検査入院してすぐに骨髄検査

白血病の疑いあり

小児病棟に着くとまだ検査は終わっておらず、次男は処置室にいました。ナースステーション奥にある処置室のドアが開いています。医療スタッフの動きを見つめながら祈っている母の後ろ姿が目に留まりました。「最初は泣き声が聞こえたけど急に聞こえなくなったから、もう痛い思いはしていないだろうけど・・・」次男が生きているのか疑うほど静かな処置室。

しばらくすると、私は薄暗い病室のドアに近いベッドに案内されました。ベッドの横には小さなテレビが台の上に設置され、その前にパイプの丸椅子が1脚あるだけのカーテンで仕切られた狭い空間が4つ。人の気配はするものの、医療機器やシーツの擦れる音しか聞こえません。

検査が終わった次男が運ばれてきました。ぐったりと横たわり、視線は定まらず呼びかけにも応えません。よだれを飲み込めず口から垂れ流している姿を見て、どうなってしまったのかと恐ろしくなり看護師さんに声をかけると、まだ麻酔が効いているのでしばらくこの状態なんだとか。骨髄検査をしたそうです。

骨髄検査とは
骨髄を穿刺して骨髄液(骨髄血)を吸引する「骨髄穿刺」、または骨組織を含む造血組織を採取する「骨髄生検」の方法によって行われる造血組織の検査である。ドイツ語のKnochenmark(クノッヘンマルク:骨髄)から、医療業界用語(略語)ではマルクと呼ばれる。
引用元: ウィキペディア

「先生を呼んできます」と言われてからどれくらい待ったでしょう。時間の感覚がなくなり、数日待たされているような疲れが体に蓄積されていきます。次男の手を握り横顔をぼんやり眺めていると医師から声がかかりました。

「後で主治医から話がありますが、ご主人はこちらに来ていただけますか?」
夫がいなければ説明できない病気?重い病気なの?・・・疲れ切った頭の中が混乱し始めました。茫然と立ちつくす私の横で母は医師にいろいろと質問していましたが、曖昧な返事しか返ってきません。

ここでは治療できない病気

「私は主治医ではないので詳しいことは申し上げられませんが、ここでは治療できませんので転院になると思います」

すぐに治る病気ではないのか・・・頭の中が真っ白になり、全身の力が抜けていきました。私たちの生活、楽しみにしていたことや子どもたちの成長も・・・何もかもが大きな音をたてて心の中で崩れていく。突如現れた大きなブラックホールに、すべてが吸い込まれていきます。

最も恐れていたことが現実になろうとしている、その衝撃をまともに受け止め、抑えこんできた感情が一気に溢れ出て泣いてしまいました。いま思えば同室の方へ配慮が足りなかったと反省していますが、当時は気持ちにまったく余裕がなく、他に人がいたことさえ忘れていました。

全身を母に預けて泣く私を母はしっかりと抱きしめ、涙声でしたが力強く「しっかりしなさい」と言って私をしっかり抱きしめてくれました。強いね、お母さん・・・。私はこんなにも情けないのに。

涙をこらえてベッドサイドの椅子に腰かけ、次男の手を握って笑顔をつくって見せると、その小さな手が私の頭を撫でました。次男は意識がはっきりしない中で、泣いている私を見て慰めようと手を動かしました。まだ視線も合わず、話すこともできないのに。一番つらいのはこの子なんだ、私じゃない。泣いている場合じゃない。

私の心を支えてくれたその小さな手をそっと包み込み、「絶対にだいじょうぶ。必ず治る」と何度も自分に言い聞かせ、せめてこの子が目を覚ましている時は笑顔でそばにいてやろうと涙を拭いて決心しました。

夫は仕事を抜けてきても到着まで時間がかかります。おまけに今朝のことを根に持っていた私は、夫はいなくてもいいからすぐに結果を教えてほしいと医師に頼みました。この状況で1秒でも待たされるのは耐えられません。夫不在でも主治医から説明してもらえるよう準備を進めてもらい、その間、夫へ電話をしました。

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