SNSの普及により、自分の思いを簡単に発信できるようになりました。簡単に発信できるからこそ、何気なく発した言葉が誤解を招くこともあり、自分の思いとは裏腹にその言葉だけが独り歩きし始めて批判されることもあります。
自分が心の支えとしている言葉、踏ん張り続けるために自分に言い聞かせている言葉をSNSで発信したところ、それは違うと批判される。その言葉は、他の人にとって「責められているように感じる言葉」「自分を否定されているように感じる言葉」になるからではないでしょうか。
息子が白血病と告げられた14年ほど前から、皆さんのブログ等を拝見して様々な感想に触れてきました。「がんばれ」「小児がんは治る病気」「神様は乗り越えられない試練は与えない」「病気に負けない」・・・、病気の子ども自身やご家族、人それぞれ受け止め方に違いが出てきます。
嘔吐や下痢、血がにじむほど口内炎ができ、頭を動かすだけでハラハラと髪が抜け落ちるような抗がん剤の副作用や、検査のために痛い処置を何度も受けて耐えている子に、これ以上なにを「がんばれ」というのか。
治癒が難しいと告げられたご家族にとって「小児がんは治る病気」という言葉は、なぜわが子は治らないのかという苦しみに繋がります。
「神様は乗り越えられない試練は与えない」「病気に負けない」という言葉に、天使になった子どもたちは負けたのか、子どもを亡くした悲しみは乗り越えることができるようなことなのか、悔しさと怒りの感情が湧いてくるようです。
受け止め方は人それぞれなので、自分の感性とは違っているなと思ったら他の言葉を探せばいい。私は、その人が心の支えにしている言葉であればそれでいいと思います。今、自分の目の前にある困難に立ち向かうために、踏ん張るために、心穏やかに過ごすために、短い言葉や誰かの存在を支えにするのです。支えにしている言葉を強引に押し付けるような行為は問題ですが、その人が納得して前向きに進んでいければそれでいいのではないかと思います。
私が書く文章も、読み手にすべて伝えきれていない場合は誤解されました。批判もされました。人間不信になったことは何度もあります。それでもこうして発信し続けているのは、たくさんの言葉をお守りにして仲間に支えられてきたから。その経験が誰かの気持ちに寄り添うことができるのであれば、万人に受け入れられなくてもいい。
伝えることの難しさをいつも感じます。しゃべりすぎてもいけない。言葉が足りないと伝わらない。私の言動が誰かを傷つけてしまうかもしれない。けれど、誤解や批判を恐れず、私は、私の信じるものを私の言葉で発信し続けます。