「私はたぶん、発達障害です」~みんなの普通は、私の特別な日常~

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「私はたぶん、発達障害です」

精神科で診断を受けたわけではないので「たぶん」ですが、10年前に次男が広汎性発達障害と診断されたのを受け、その結果と私自身が子どもの頃から感じていた生きにくさを照らし合わせると、「私はたぶん、発達障害です」(これはプロフィールにも書いてあるので、特別な思いがあって書いたことではありません)

発達障害と告げると様々な反応が返ってきます。理解してくださる方もいれば、そうでない反応も。

「障がい者だと言って、逃げているんじゃないの?」

あぁ、私は逃げているように見えるのか・・・これでも精一杯取り組んでいるつもりなんだけれどな・・・。そう思いながらも、言い返す言葉がありません。その人からは逃げているように見えるのだから仕方がない。

「私の話、理解できる?障がい者だからできないよね~」

「何でも相談にのるから。力になるから」と言ってくれたのに、発達障害であることを告げた途端にこれだもの。さすがにこれは仕方がないとは思えず言い返したけれど。。。悔しい経験もあります。

記憶がどんどん消えていく

私は興味や関心のあることが非常に狭いので、「こんなことも知らないの?」と言われて恥ずかしくなる時もあります。自分の興味関心のあることはいくらでも話せますが、何せ興味の範囲が狭く記憶力も悪くなってきたので雑談は苦手です。

家から外に出て誰かと会って話すことは、たとえ好きな人であっても刺激が強く、エネルギーを必要以上に使います。平日は睡眠時間をたっぷりとっているのですが、昼寝をしないと体がもたなくなってきました。1日中家にこもって小児がんの論文を読んだり、ホームページを作ったりして一人でいる時間が好きで、人と会って話すのが苦手です。うまく自分の考えを口頭で伝えられないから。

記憶力は、年を重ねるごとに悪くなってきたように思います。覚えていて当然のこと、たとえば自分や家族の年齢、エレベーターのボタンはどちらが開く・閉めるのか、毎週観ているドラマのタイトルや登場人物の名前など・・・書き出すときりがありません。

最近は本気で病院に行こうかと悩むほどに記憶が消えていく・・・記憶できないと言ったほうがいいのかも。時間をかけないと言葉が出てこなくなりました。これはまずい・・・でも、嫌なことも忘れるようになったのは幸せかな。

私は生きる価値のある存在なのか

みんなにとっての「普通」は、私にとって「特別」な日常。普通の人と同じように、できるだけ同じようにふるまうことが辛すぎて、時々心のバランスを崩します。

子どもの頃から生きにくさを感じるたびに、私は生きる価値のある存在なのか、その答えを探していました。愛する人と出会い、子どもを授かって、ようやく生きる意味や目標ができましたが、離婚してしまったし、長男は社会人2年目、小児がんサバイバーの次男は高校2年生になり、子育てもあと少しで終わりです。私が「楽しい・嬉しい」と感じて生きるために、これから何をしようか、何ができるのか考える1年でした。

私は記憶力が悪い、うまく話ができない、体力がない・・・悪いところはたくさんあります。それでも、少しは人の役に立つようなこともできるし、得意なこともあります。その得意なことを仕事やプライベートで活かしていけたらいいな。

「輝く子どもたち」には病気などの専門情報ばかりで自分自身についてあまり書かないため、「はなさんってどんな人?」とよく言われます。今回は「私」について書いてみました。こんな人ですが、どうぞよろしくお願いします。

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