悲しみに寄り添う理由。私が経験した友人との別れ。

さっきまで笑っていた友人が、熱いアスファルトの上で横たわっていた。事故だった。今日は友人の命日。

《あの日から30年経つんだな…》
私の価値観も人生も大きく変えた、高校生最後の夏の出来事。
誰の言葉も信じたくなかった。
現場に駆けつけた私に「心臓が止まっている」と、誰かが言ったことも。
病院の廊下で彼のお母さんに「ダメだった…」と言われたことも。

私は、彼を止められたかもしれないのに。
事故に遭う1周間前に、彼が亡くなる夢を見た。目覚めたときは涙があふれ、嫌な胸騒ぎがずっと続いていた。しかし、事故に遭う数十分前に彼とすれ違って安堵してしまい、いつもは言葉を交わすのに、その時は笑顔と身振りで挨拶を交わしただけ。

《あの時、声をかけていれば事故に遭わなかったかもしれない》と、自分を責め続けた。「あなたのせいじゃないよ」と言われても、私は私を許せなくて。そんな私が生きていけるように、彼が人とのご縁を繋いでくれているのではないかと思うことが数多くあった。たくさんの方に支えられて、いま私は生きている。

他にも、友人を事故や自死で失った。19年前に次男が小児がんと診断されてからは、幼い子どもたちとの別れもたくさん経験した。命のはかなさを身をもって知り、生きるつらさも感じながら生きてきた。

忘れたくても、あの日・あの瞬間の記憶が鮮明に蘇り、30年経っても忘れられない。意識的に楽しかった出来事を回想するようにしなければ、悲しいだけの1日になってしまう。

友人の命日は、これからの自分を見つめる日。
大切な人を失った悲しみに寄り添いながら、空にいる仲間たちが繋いでくれるご縁をもっともっと広げていきたい。

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