息子が白血病と診断されてから知り合った私より少し年下の小児がん経験者の姿に、この13年間ずっと支えられてきました。そして、これからもずっと。
 今回は、その彼のお話。

将来へ続く道を常に照らしてくれる小児がん経験者の存在

 「子どもの闘病を支えてきた親から、大人になる小児がん経験者へ引き継ぐ記録」では、長期フォローアップについて取りあげました。小児がんは不治の病と言われていた時代に治療を受けた小児がん経験者は、自分の治療に関するどのような情報をもっているのでしょう。

 次男が白血病とわかったときに、主治医から「小児がんは治るようになってきた病気」と言われました。けれど、インターネットで検索したり書店へ行ったりしても亡くなった子どもたちの闘病記ばかりが目に留まり、専門書を開けば「5年生存率」「晩期障害」の文字・・・。昔は「晩期合併症」を「晩期障害」と言いました。

 現在は小児がん経験者の会がたくさん存在し積極的に活動していらっしゃるので、インターネットで彼らの活躍を目にする機会が増えてきましたが、10年前は「小児がんの治療を終えて元気にしている人って、本当にいるの?」と疑うほど情報が少なく、「小児がんは治るようになってきた病気」という言葉さえも疑いたくなる時代でした。

「生きている」それだけで感動だった

 そんな疑いと絶望の中で出会ったのが、久留米大学病院の小児病棟で治療を行った小児がん経験者の会「SMILEDAYS」のしろ~さん。「小児がんは不治の病」と言われていた時代に治療を受けていた方です。彼の存在は私たち親子の希望の光となり、次男の将来へ続く道を常に照らしてくれています。

しろ~さんについて

九州沖縄広域小児がんネットワーク「QOL+」 代表 林 志郎さん
クラウンシロップ 林志郎さん 6歳のときに急性リンパ性白血病を発症し、化学療法にて治癒。晩期合併症を抱え治療を受けながらも、まわりの仲間を笑顔にさせるユニークさと優しさを持ち、2010年10月より赤鼻の道化師「クラウン・シロップ」として、小児病棟の訪問活動の他、イベントやショーなどにも出演しています。
 奥様も小児がん経験者で、しろ~さんは現在、二人のお子さんの父親として、夫として、クラウンとして、充実した日々を過ごしていらっしゃいます。

▼Facebookページ
九州沖縄広域小児がんネットワーク「QOL+」(クールプラス)
▼しろ~さんの生い立ち
僕と白血病 “病を生きる力へと変える~” 看護学部講演より

しろ~さんに聞きました「カルテは残っていた?」

お母さん

白血病治療中の記録は、何か残っていましたか?

ホスピタルクラウン

結論から言いますと、私のカルテは現存しません。

しかーし!当時家族がコピーしていたプロトコールの資料や、先生からもらった書類のコピー、そしてずっと今でも一緒に活動している元主治医が書き写していた私の治療記録があったので、私のサマリーはありますよ。私の場合は運よく他の資料もあったおかげで、自分の治療記録が残っています。

お母さん

プロトコールも残っていたんですか!?

ホスピタルクラウン

そうなんです、母が持っていたんですよ!

それをもとに薬剤の投与量を計算してもらい、治療サマリーを作ってもらいました。

主治医

しろ~くんは、なんと「プロトコール」と最初に入院したときの「退院のまとめ」を持っていた

という数少ない一人だけれど(通常は持ってないよ~)、自分がどのような治療を受けたのかを自分自身が知ること、ちがう医師にかかっても治療の内容を理解してもらえることは、とても重要だと思います。
(しろ~さんの主治医:Iせんせい)

ブログでSMILEDAYS 2008-06-12「今日の読売新聞の朝刊に…」のコメント欄にて、しろ~さんの主治医Iせんせいに治療サマリーについて質問しました。小児がん経験者たちの声も加わり、コメント数は41件も! コメントにしておくのはもったいないので、リンクを張らせていただきました。

小児がん経験者「しろ~さん」からのメッセージ

ブログでSMILEDAYS「2011-01-25:晩期合併症のドキュメントによせて」より、しろ~さんの許可を得て転載させていただきました。

退院 ⇒ 治療終了 ⇒ 健康!・・・ではない、小児がんの治療

(小児がんは)現在のように治るようになった時代。ではなく、多くの子が助からない時代…。でした。ほんとに、過言ではなく、次から次へと入院してきた仲間たちが亡くなる時代でしたので。

小児がんは治療後も、子どもが心身ともに成長をしていき、その成長の段階で発育に遅れが現れたり、10年以上経って現れる治療の影響による心臓やその他の内蔵の機能低下や、身長の伸び悩みなど、定期的に外来で発育や後遺症の有無を長期に観察するため、受診の必要があります。小児がんの子どもたちを取り囲む大人たちも、家族も、環境も、「退院した⇒治療が全て終わった⇒もう完璧に健康になってる」と思われがちなのです。

晩期合併症を抱えて生きるということ

晩期合併症の諸問題が、ようやくメディアによって注目をされるようになったということと、過去にも何度か申しましたが、晩期合併症という問題への取り組みが、日本ではまだ始まったばかりで、小児がん経験者のみなさんにとって、同じことが起こるということではなく、晩期合併症に取り組んでいるドクターや関係者の方たちは、「みんな困難を乗り越えて、一生懸命に生きてほしい」という思いを込めて、晩期合併症と向き合っているということを声を大にして、ここで申し上げておきます。

私も、晩期合併症を抱えて生きている一人です。でも、みなさんがご承知のように、私は、晩期合併症の病いを抱えていても、このブログで綴っているように活き活きと懸命に生き、充実した毎日を送り、その中で感じたこと、学んだことをこうして発信しています。

でも、10年前の私はこんなに強くはありませんでした。苦しい毎日を送っていました。死んでしまいたいとすら思うことも、無かったのかといえば、ウソになります。でも、くじけそうになっても、決して生きることを諦めることはありませんでした。だから今、こうしてみなさまのお役に立てているのだと生きてこれたことに感謝をしています。

全国のなかまたちへ

一度きりの人生を、
病気に振り回されて悲しく生きるのではなくて、
命の長短は誰もが異なるけど、
面白くなければ、面白くして、
自分自身が嫌いならば、好きになる工夫をこらして、
命が輝いていなければ、ピカピカに磨いて、
心が冷えているのなら、松岡修造さんも驚くほどアツくして、
生きていることと、支えてくれた家族に“ありがとう”って
感謝できる素敵な人生にしよう。
ね。

林 志郎