2004年9月4日、中枢神経に病気の拡がりがないか調べるために髄液検査をしました。次男は中枢神経には白血病細胞は見られませんでしたが、初回の髄注(読み方:ずいちゅう) 直後に激しい腰痛を訴え、1日痛みは取れませんでした。
処置の中で親子ともに精神的に辛かったのは、骨に太い針を刺して骨髄液を採取するマルクと髄注です。マルクは転院前の分も合わせると2年間で8回、髄注は1年5か月間で15回ありました。
初めての腰椎穿刺・髄注
腰椎穿刺とは? ルンバールとは? 髄注とは?
腰椎穿刺とは髄液検査のことで、中枢神経に白血病細胞が広がっていないか調べます。ベッドに横になりエビのように背中を丸くし、腰に近い背中(背骨の骨と骨の間にあるスポンジ状の部分)に針を刺して脳脊髄液を採取します。「ルンバール」とも呼ばれています。
血管から入れた抗がん剤は中枢神経まで届きません。有害物質が血液から脳(脊髄を含む中枢神経系)へ侵入するのを防ぐ役割をする血液脳髄液関門が、抗がん剤を有害物質として認識するからです。そこで、中枢神経への病気の拡がりを防いだり、中枢神経に広がった白血病細胞を叩く治療では、髄液を採取した直後に穿刺部分から抗がん剤を注入します。これを「髄注」といいます。
髄注注処置中の様子を撮影したお母さんがいらっしゃいましたので、ブログをご紹介します。にゃ~にゃちゃんは眠剤を使用していたようで、その過程もお母さんが記録していらっしゃいます。
処置室から聴こえる「たすけて!! 骨が折れる!!」
さぁ、がんばろうね
看護師さんが笑顔で病室に入ってきました。次男はこれから何をされるか知らないため、病室から出られると言ってはしゃいでいます。看護師さんに抱っこされて処置室へ入っていく次男の後ろを、私は重い足取りでついて行きました。
お母さんは廊下で待っていてください。終わったら呼びますから
処置室のドアが、ゆっくりと息子の姿を隠しました。処置室のナースステーション側の出入り口から大勢の男性医師や看護師さんが入って行くのが見えます。
ねぇ、これから何しゅるの?おかあしゃんは?
しばらくすると、処置されると感づいた次男の叫び声が聴こえ始めました。殺風景な処置室でマスクをつけた大勢の大人に囲まれ、力いっぱい体を押さえつけられる・・・どれほど怖い思いをしたことでしょう。
麻酔なしでこの検査を受けることや、押さえつけなければ危険であること、どのように検査をするかということは説明を受けて納得していました。しかし、ドア越しに聞き耳を立てて中の様子をうかがっていると、本当にこれでよかったのだろうか、本当に治るのだろうかと不安になります。
おかあしゃあーん!たすけてー!骨が折れるー!おかあしゃあーん!
次男の悲鳴が静かな廊下に響き渡ります。
「がんばろうね」は「これから痛い治療があるよ」の意味
看護学生さんたちは処置室で見学しているというのに、なぜ親は傍にいてやれないのだろう。守ってやると約束したのに傍にいてやれない無力な自分。悲鳴とともに聴こえてくる『がんばれ』という言葉がとても腹立たしく、何もしてやれない自分が情けなくて悔しくて・・・ひたすら祈り、処置が終わるのを待ちました。
入院中、医療者が使う「がんばろうね」は「これから痛い治療があるよ」の意味だと分かり始めた次男は、「がんばりたくない!」と抵抗するように。次男が入院中は、髄注やマルク、ロイナーゼの筋肉注射を受けなければならないことを直前まで隠し続けることが、次男にとって一番いいと思っていました。
次男を押さえ込んで無理にでも飲ませなければならない薬、抵抗し吐きそうになりながらも目に涙を浮かべて薬を飲みこむ姿を見ていると、私は虐待しているんじゃないかと思うのです。なんで、こんなことしなければならないんだ・・・これで治癒すればいいけれど、そうじゃなかったら・・・今ここで、この子と一緒に窓から飛び降りたら苦しまずに済むのだろうか・・・と思うことも。
子どもが重い病気になり、処置のたびに泣き叫ぶ声を聴き、病室と社会から隔離された状態で何日も過ごすと精神的におかしくなります。それを表出できれば看護師さんも気づいてくれたかもしれませんが、私はそれが下手で、負のエネルギーはすべて夫に向かいました。夫もかなり耐えていたでしょう。
そして処置後、次男は激しい腰痛に苦しみました。